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■2000年03月27日 BOUNCE
エーテルの歌姫、“青の新世紀”へ。
一年ぶりのシングル「グライド」で歌姫は何を語る?
あの渋谷キャトルライブから三カ月。事件の余波はここ数カ月のリリイを確実に直撃した。マスコミは事件そのものよりもむしろリリイという理解不能な存在に的を絞り、様々な記事を書き連ねた。彼女のミステリアスな言葉使いのせいもあってか、一部のマスコミはリリイをカルトの教祖のようであると批判した。これら一連の騒動を敢えて狙ったのか、それとも下界の些事は何処吹く風なのか、エーテルの歌姫がニューシングル「グライド」リリースする。この新曲を自らの新境地と語るリリイ。彼女の新しいビジョンとは?歌姫は何を語る?
「エーテルは青の次元にさしかかっている。これは自分にとっても重要な過渡期かも知れない」
リリイはみずからの心境をこう語る。この独特なリリイ語に我々はいつも翻弄される。耳慣れない読者のために解説すると、エーテルとはこの世の中を満たしている物質。かつて物理学で信じられていた概念だが、リリイは精神世界に近い言葉としてそれを用いる。
「青のエーテルの意味は永遠と沈黙。そこに白いグライダーを飛ばしてみた。それが『グライド』」
『グライド』は去年発売のアルバム『呼吸』にも収録された、ピアノソロによるシンプルなアレンジの曲だった。しかし今回、シングルカットにあたっては、まったく別な曲として意識したという。
「去年は“絶望”のエーテル。でも今回は“希望”を感じながら歌えたの」
新世紀にむけて『希望』という言葉はリリイらしからぬポジティブなイメージだ。しかしリリイ語における“希望”は決してポジティブとは言えないニュアンスだ。
「絶望は赤のエーテル。希望は青のエーテル。地球の色。暗い宇宙にポツンと浮かんでいる涙の雫。それが地球」
そう言われれば確かに悲しい。この悲観論がなぜかいまの若者にはフィットするらしい。その影響は計り知れない。去年はリリイの周囲で不幸な事件が相次いだ。ファンの自殺、スタッフによる暴行障害事件、そして渋谷キャトルで起きた殺人事件。いやなイメージが彼女の周囲に漂った。本来ならばイメージダウンに直結しそうなこれら事件をリリイはエーテルという特殊な言葉で実にユニークなプロモーションに昇華させたかにも見える。そのことに触れるとさすがのリリイも一瞬顔色が曇った。しかし彼女の口から発せられた言葉は相変わらずというか、厳然と我々のモラルとは異なるものであった。
「そもそも生きているというのは悲しい事件でしょ?人間にとって最大の心の傷は、存在」
こんな風にしてリリイはファンによる抗議の自殺事件も、渋谷キャトルでの殺人事件も、みずからの宝石(ジュエル)に変えて行く。彼女の特異性は音楽よりもむしろこの思考回路にある。
しかしファンにとってはその言葉が、エーテルの魔力が何とも心地よいらしいのだ。新作「グライド」の中でリリイは「I wanna be」を繰り返す。音になりたい。空になりたい。とおくへ行きたい。・・・・なにかまた感化された若者がひとり遠くへ逝ってしまいそうで不安なのだが。
「エーテルを駆けめぐるイメージの速度は光さえも凌駕するの。私たちが何処へゆくのかはエーテルの気分次第。何のために生まれて来たのかと悩む人がいる。理由はないの。歌がある。理由はない。ただ歌がある。エーテルのうねりの中に。だからあたしは歌うしかない。歌ってるあいだだけが幸福。いえ、幸福なんてものも存在しない。ただエーテルがこの世界を満たしているだけ」
これが彼女の答え。その意味不明な言葉の羅列にひょっとしたら宇宙の真理が隠されているのかも知れない。なにも意味がないのかも知れない。それを解読するのはリリイ信者ひとりひとりの手に委ねられる。ある雑誌はリリイ・シュシュを並みのカルト教より危険だと評した。彼女の歌や言葉には混沌と絶望しかないからだという。果たして青いエーテルを飛ぶグライダーはファンたちを何処へ連れて行こうとしているのだろう。
(本田コウセイ)
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