< プロダクション・ノート >


1998年。僕はリリイに出会った。
これはまだ誰にも話したことないと思うけど、実はそのきっかけは、彼女のプロモーションビデオ撮影という仕事やった。
今思えば、神様に感謝のひとつもしたくなるくらい光栄な仕事やったにもかかわらず、当時の僕はまだ、リリイについて詳しいことを知らなかった。
若者たちに熱狂的支持を受けるカリスマ歌姫?
現代の巫女?エーテル?
事前に渡されたリリイに関する資料には、不可解な言葉ばかりが並んでいた。
そして、その資料の中に、僕はひとつのサイトアドレスを発見する。


「リリフィリア」。
「フィリア」なる人物が管理するリリイのファンサイトらしい。
仕事場のパソコンから接続してみると、果してそこには、僕が見たこともないような熱狂が渦巻いていた。
サイトの掲示板には、リリイに心酔しきったコアなファンたちが、昼も夜もなく、リリイへの熱い想いを書き連ねている。
う。なんや、この濃厚な世界は・・・。
1回目、僕はすぐにサイトを閉じた。


そのすぐ後、僕はリリイに出会った。
プロモーションビデオ撮影のスタジオでやった。
あの時の衝撃は、未だに忘れることができんなあ。
資料の中で、サイトの掲示板で、リリイについて綴られていた不可解な表現のすべてを僕は一瞬にして理解した。
なるほどこれは、現代の巫女。カリスマ的歌姫。
その圧倒的存在感に、僕は打ちのめされたんやと思う。


僕は、再び「リリフィリア」を訪れずにはいられなかった。
今度は、純粋なリリイファンとして。
とはいえ、常連のリリイ信者たちにしてみれば、まだまだ僕なんかエーテル不足な初心者や。
最初の頃、ピントのずれた書き込みをしては、常連たちから、えらい非難されたことも一度や二度やなかったけど、それでも懲りずに現れる僕を、彼らも、受け入れてくれるようになっていった。
「くま」「ねんね」「青猫」「ネヴィラ71」「鉄人29号」・・・多くのリリイ信者と僕は知り合った。


そして、あの事件が起こった。
渋谷キャトルで行われたリリイのライブ会場で、星野修介君が刺殺された。
僕は、事件現場のすぐ横で、将棋倒しになった人間うちの一人やった。
将棋倒しに遭ったのは初めてで、その際に僕は腰を痛めた。
しかし、そんなことより何倍も衝撃的やったのは、そのほんの数メートルほど先で、中学生の少年が何者かにナイフで刺し殺されていたという事実。
自分では太い性格やと思ってたけど、あれはこたえた。
痛めた腰がかなり回復するまで、僕はリリイを聴かず、「リリフィリア」に行くこともなかった。
思い出すのが辛かったからや。
だから後で、あの事件の日以来、「リリフィリア」が閉鎖されているのを知っても、不思議な気はせんかった。
フィリアもショックやったんやろうな、そんなことを思った。


やがて、サティが「リリイホリック」を立ち上げることになった。
「リリフィリア」閉鎖によって行き場を失っていた常連たちは、喜んだ。
そして、星野君事件がマスコミに取り上げられ、大きな話題となったことで、皮肉にもリリイは、さらにファンを増やしていた。
サイトがオープンするやいなや、掲示板には、膨大な量の書き込みが殺到した。
エーテルは満ち、「リリイホリック」は走り出した。
今思えば、すべては、サティのあの独白に向って・・・。


星野君事件の犯人は、まだ捕まっていない。
そして、サティは消えてしまった。
まだ何一つ真相の明かではないこの一連の出来事を、映画にするなんて、ほんま無謀な試みやと自分でも思う。
でも、その一方で、これを撮らずに何を撮る?という気もする。
たとえ「リリイホリック」でのあの出来事が何もかも、サティの捏造であったとしても、たとえ、僕らはみんなサティに踊らされてただけやったとしても、僕はそこに立ち会った。僕にとっては、あまりにもリアルな体験やった。僕は、僕なりにあの体験に決着をつけたくて、この映画を作ったのかもしれん。


撮影の時は、ネット仲間にも協力してもらいました。
手伝ってくれたみんな、本当にどうもありがとう。
この場を借りて、お礼を言わせてもらいます。


ちなみに僕の腰は、だいぶん良くなりました。
しかし、あれ以来、人混みのなかにいると動悸や眩暈を起こすことがある。
医者に言わせると「心的外傷ストレス」らしいですわ。とほほ・・・
 
 
 
 

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